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2010.03.22

Wインパクトハリケーン

確定申告を済ませ、関係各所に連絡したり投書したり、『インポッシブル・ハイスクール』3巻の原稿を書き上げたり(でも、まだまだ直しが待っている)。
とりあえず忙しさの峠を乗り越え、行ってきましたレンスト公式イベント。

まあ、決勝進出は当然無理でしたが、ガンスリで12勝(+時間切れ1ポイント)で、そこそこ記念品をゲットしてきました。
最初はスピード優先の「青緑フランス女ダンス」を使っていたのですが、これがなかなか勝てない。
仕方がないのでヤケクソ半分で「青黒ロックデッキ」メインに切り替えたら、いきなり勝率が上がりました。
いやね。ストライクダメージを与える事を放棄してロックで固めて相手のデッキアウトで勝つという、時間制限がある大会だと絶対に嫌がられる代物ですから、決勝進出者が決まったというアナウンスがあるまでは使うまいと決めていたのですよ。

覚え書きも兼ねて、デッキレシピを紹介しましょうか。
 【青黒オモカルロック】
 クライマックス刑事×2  圧縮冷凍×1  マーフィーK9×2
 ピンクレーサー×3  キンタロス(2nd)×3  レッドフラッシュ(XG)×3
 パンチホッパー(2nd)×3
 ゴルゴムの仕業×2  マンティスロード×2  タイガーロイド×3
 イカファイア×3  タブー・ドーパント×3 重力忍者オモ・カル×3
 ユガンデ×2  冥獣人ニンジャキリカゲ×2  五の槍サーガイン×3

オモ・カルの効果でナンバーを変更する事でピンクレーサーとパンチホッパー、キンタロスとサーガインが同時に使えるため、相手のパワーをガンガン削りながらコマンドも減らせます。既にラッシュ済みの低パワーユニットはレッドフラッシュでパワーに送ってサーガインの能力を発動しやすくし、自軍ユニットはタイガーロイドとイカファイアも使って守る。キリカゲも出せば「効果名を持つラッシュ効果」なども食い止められるし、タブー・ドーパントでオペレーションも使用不能にできる。自分のデッキアウトはクライマックス刑事で回避。
最速5ターンで「ピンクレーサー+キンタロス+タイガーロイド(orイカファイア)&オモ・カル」のプチロックは完成するので、鉄壁バージョンまでの時間稼ぎもできる……という、実は以前自分でやられて手も足も出なかったデッキを参考にしたものです。

こういうデッキなので、先にロックが完成して圧勝か間に合わずに完敗という事が多いのですけれど、一戦本当に際どい戦いがありました。
相手は軽量3色速攻なのですがギガバイタスやスピードル、レツタカなどが入っているため、キンタロスで完全にロックする事が不能、しかし向こうは向こうでカードの必要パワーが軒並み低いためイカファイア効果でこっちのユニットにアタックできません。
結局、6点喰らいながら辛勝できましたけど、相手のレツタカを1枚ダップ効果でパワーに送っていなかったか、あるいはこちらのクラ刑事が序盤にダメージになっていたら結果は逆になっていたでしょうね。

さて、これで明日からはまた『無刃のイェーガー』2巻の作業に戻らねば……。

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2010.03.20

清らかな世界で生きたい「あなた」へ

『不愉快』なもの、『気持ち悪い』ものが何もない世界を望みますか?
 そういう世界で生きていけたら心地よいでしょう。それは自然な欲求です。
 でもね。
「あなた」もまた、誰かにとって『不愉快』『気持ち悪い』存在なのかも知れません。いえ、ほぼ確実にそうです。
 例えば、日本では1945年まで女性には参政権がありませんでした。単純計算で全人口の半分に、生まれつきの「特徴」ひとつが原因で、今では当たり前の基本的な権利が認められていなかったのです。太古の話ではありません。たった65年前、せいぜいが三世代程度です。
 現在でも「女だてらに」「女のくせに」というような言葉で、女性の社会参加を『不愉快』に感じている人間は存在します。
 男であること、女であること、そのどちらでもないこと。あるいは金持ちであること、貧しいこと。日本人であること、日本人ではないこと。ある宗教の信者であること、信者でないこと--どんな根拠であっても、人間は「自分とは違う側」を簡単に敵視し、劣っているとみなし、排除しようとします。

「あなた」が明日も多数派や良識派でいられるという保証は、どこにもありません。それどころか「多数派」の意見が優先されるという保証さえないのですよ。
 明確な根拠のある『害』ならば、規制や制限もやむを得ないことでしょう。
 しかし、「よくわからないけど『不愉快』だし『気持ち悪い』」という理由で何かを排除する事は、確実に「あなた」自身の足下を崩していくのです。
 我々が好きなモノは「あなた」にとって不快かも知れません。しかし『不愉快』や『気持ち悪い』という感情を捨てろ、受け入れろ、見ろ、褒め称えろと言っているのではありません。
『不快』というだけの理由で、存在することそのものを否定する行為。それを正当化しないでほしい。
 たったそれだけです。
「あなた」自身が「あなた」の家族が「あなた」の友達が、誰か偉い人の『不快』を理由に否定されないために。

 意見を異にする他者と共存する大前提は「意見が自由に言えること」です。

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とりあえずは先送り

東京都の「青少年健全育成条例」は継続審議となりました。
ただ、廃案になった訳ではありません。
掲げている目的に対する効果が疑わしく、根拠が曖昧で、言論表現の自由を脅かすような条例案には、私はこれからも反対していきます。

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2010.03.16

タチの悪いコント

『害虫を駆除するために、この〈強力な薬物〉を我々が保有し、いつでも好きな時に好きなようにこの街で散布したり水に混ぜたりできるようにします。同意書にサインしてください』

ちょ、ちょっと! この薬って益虫も死にます。それどころか人間だって簡単に死にますよ! だいたい害虫と益虫って単純に区別できないものですし。

『害虫にしか使いませんから、あなた方は同意書にサインしてくださればいいんです』

その「害虫」って具体的には何なんですか? ゴキブリ? カ? ダニ? この書類には「危険あるいは不快な害虫と見なしうるもの」としか書かれていませんけど。

『同意書にサインいただいてから、その都度現場で判断します。それともあなたは害虫の味方なんですか?』

だから、せめて害虫って何を指しているのか具体的な定義と毒物の使用条件を、その書類にしっかり明記してくださいよ! 文書に記載したくない理由でもあるんですか?

『我々が判断するから大丈夫ですよ。ああ、そういえば気に入らない人間を虫けらとか害虫とか呼ぶ事って別に珍しくないですよね。えへっ★』

笑うところじゃないでしょ! それにこの街は水源地だから、ここで危険な毒物薬物を使うと下流にも影響はありますよね。その事は理解してるんですか?

『この街の住民の同意さえもらえば手続き上はオッケーです。さあ、サインをっ!』

……少なくとも私は、こんな状況で同意書にサインなんかしたくありません。

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2010.03.15

「東京都青少年健全育成条例改正案」に関する、個人的な覚え書きみたいなもの

*「ある表現」を、明文化されない基準で違法扱いできる事が根本的に問題。口頭で「あれは大丈夫」「これはセーフ」という説明を受けても、条文そのものが曖昧でいくらでも恣意的に判断できる以上は問題は変わらない。

*「〈悪質な〉フィクションから子供が悪影響を受ける事はない」という立場を、少なくとも私は取らない。それは「〈良い〉フィクションが良い影響を与える事」も同時に否定する事になるから。
現実とフィクションは相互フィードバック系であり、互いに影響を与えあっている。それは『キャラふる♪』や『星になり損ねた男』で描いた事である。
我々はフィクションという抽象化され濃縮された「他者の人生」に触れる事によってより効率的に社会化されている。自分ではない、性別も年齢も生活史も異なる人間の気持ちを考える事ができるようになる。もちろん、この事だけがフィクションの効能や存在意義ではない。

*しかし、相互フィードバック系と言ってもほとんどの物事は現実を起点・源流とし、フィクションを通じて再構築され、現実に影響を与え、さらにそれがフィクションに……というサイクルをたどる。
「青少年を性の対象として見ること」はマンガ、アニメ、その他オタク文化特有のものなのか?
勿論否。これも先に現実が存在する。
「若く(そして美しい)肉体を賛美する」「青春を賛美する」という文化は広く根ざしており、その事を問題視する人は少ないが、この価値観そのものが「その若い肉体とは、性に目覚める時期である」という要素を内包している事について自覚的に述べる人は少ない。
何よりも、実際に法的には未成年であっても多くの人間は十代前半~半ばで「性行為可能な現実の肉体」を手に入れてしまうのだ。
大半の人間の性欲そのものが、その人間自身の思春期・第二次性徴の記憶と分かちがたく結びついている以上、「思春期の少年少女を性的な対象として見る文化」を根絶・管理する事はSF的なディストピアでもない限り不可能。
「実在」する人間の肉体が「そういうもの」である以上、「非実在青少年」とやらを規制する事に意味はあるのか?
必要なのは各々が「より善い」と判断する価値観を与え、自制心や倫理観、他者への思いやりや共感能力を育む事だろう。そして多様な価値観が共存し、それぞれが理性的な判断の下に協調できる世界の基礎となるのが「表現の自由」ではないのか?

*上記した通り「実際に性表現(あるいはその他)を含むフィクションに影響を受けて、犯罪などに走る人間(青少年に限らない)」が存在する危険性を、私は否定しない。しかし、それは表現の自由を制限する根拠になりえないとも主張する。
敢えて誤解を承知で言えば、近代・現代の社会というのは、有用なものを活用した際に「確率的に起きてしまうトラブル」や「悪用可能なモノが実際に悪用されてしまった時のリスク」を全体が甘受し、吸収する事によって成立する。交通事故や珍走団が存在しても、自動車が自由に流通し、免許制度の下で各市民が使用できる利便性を優先するように。凶器として悪用されるからという理由で包丁やカッターナイフの販売を禁止できないように(「他者を害する手段」としてしか使えない銃器は、現に規制されている)。
いや、文化にとっての思想信条の自由やそれを支える表現の自由の重要度は、文明にとっての火にも匹敵する。「失火の危険もあります。放火に使う奴もいます。だから、マッチもライターも、いかなる可燃物も市民の自由や判断には任せません」というのはナンセンスであり、むしろ危険ではないか。

*「非実在青少年」を表現規制のターゲットにする事と、「実在青少年」の安全や尊厳を守り、性的な搾取を防ぐ事の間には関連性が極めて薄い。
とりあえず叩きやすいところを叩くというやり方は、問題の本質を見誤らせ、真に解決すべき問題から遠ざかる行為と言える。
本来の守るべき法益は何なのかを冷静に考えて欲しい。
漫画やアニメの首を絞めても、実際にポルノの被写体とされている子どもはひとりも救えない。

*いわゆるポルノグラフィ・フィクションに属するものに関して、レーティングやゾーニングの徹底は必要だし、可能。例えば書店やコンビニの雑誌売り場などはレンタルビデオ店ほどもゾーニングが実行されていない。
これはこれで実現には様々な問題もあるだろうが、効能が疑わしく副作用だけは明白な劇薬を一気に大量投与するより先に取るべき現実的な対策はいろいろあるはず。

*かつて「有害漫画問題」が起きた時、ある漫画家がこういう事を言っていた。
『親たちは我が子を〈純粋〉に育てようとする。だが、現実の世界が純粋無垢でない以上、子供を純粋に育てるという事は現実に対して傷つきやすく、適応できない、立ち向かえないように育てるという事ではないのか。大切なのは〈純粋〉な人間でいる事ではなく〈誠実〉な人間になる事だ』
全く同感。

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