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2009.03.18

ふぁんろーど、再休刊

最終号という事で、ちょっとセンチメンタルな気分で記念に購入しました。
個人的な感想としては、自分が愛読し、投稿していた25年前とあまり変わらないなという印象です。
もちろん、時代に伴う変化はありますよ。でも、一番芯になる「ジャンルや媒体に拘らず、広い意味のオタク趣味にひっかかりそうなものを網羅的に取り扱う」のと「嫌いなモノや駄目なモノをけなしたりくさしたりするのではなく『好きなモノを広めあう』という方針」は変わっていないのです。

気分としては、ずっと昔に卒業した小学校を訪ねた時に似ているのかも知れません。
設備は新しくなっています。昔のままじゃありません。だけど校舎は昔と同じなのです。
違和感も郷愁も、両方感じて当然。その上で、この場所は既に自分のホームグラウンドではなく、あの頃の自分にどこか似ている奴らのもの。
そして、間違いなく「精神的な故郷」なのです。

今回の休刊に関して感じるのは「ネット時代で、紙メディアが云々」というのよりも、もっと根深い問題を感じます。
メディアの多様化といえば聞こえはいいですが、その一方で細かいジャンル分けが進み「自分が好きなもの」「関心があるもの」だけをつまみ食いするだけで満足、あるいは追いかけるだけで精一杯というのが現状です。
そんな中で「広いターゲットに向けたメディア」が『効率の悪さ』故に危機に立っているのではないかという気がするのです。
例えば地上波テレビ放送、例えば総合雑誌、そして「ファンロード」。

もちろん、棲み分けで無駄な摩擦を避けるというのは懸命な知恵です。
しかしその一方で「自分の知らない世界」「自分とは違う価値観の持ち主」「自分が好きな何かに似た『お隣さん』」を知る機会が乏しいまま、狭いところをほじほじと掘り下げるのは、ちょっとどうかな、なんて思ってしまうのです。
ちょうど高校や大学とは違い、小学校が「地域と年齢が同じだけでいろんな奴が集まって来る場」であるのと同様に、私にとって「ファンロード」はいろんなモノを知る場でした。
同時に自分を受け入れてくれるだけではなく、試される場でもあったのです。
何かを「発表したい」という願望だけではなく、「つまらないモノが没になる場で、面白さを評価される」という願望をぶつける場でした。
今現在、フィクション屋として生きている自分の骨組みは、間違いなくあそこで作られました。

個人的な感傷とは別に『ファンロード』がなくなるような時代に、ちょっぴり不安と違和感を覚えてしまいます。
それが時代の趨勢だとはわかっていても。

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お弔い

下北沢で観劇してきました。ラックシステムの『お弔い』

わかぎゑふの名前は中島らものエッセイで何度も目にしているものの、実際に舞台を観るのは初めてです。まあ、そもそもの目当ては、小動物系コメディエンヌ・武藤晃子とオトコマエ女優・美津乃あわの共演だったんですが、予想以上に楽しめました。

舞台は昭和30年頃、まだ戦争の記憶も生々しい大阪。とある会社で働いている身よりのないおばはんが交通事故で亡くなります。ところが、何にもないと思われていた彼女の部屋からとんでもないモノが発見されてからどんどん事態は転がっていき……というシチュエーションのコメディ。
(着想のヒントのひとつは、ヘンリー・ダーガーだそうで)

軽快なかけあいどつきあいと、しんみりした語りのコントラストが心地よく、登場人物はごちゃっと多いものの、目当てのふたり以外の役者陣の好演もあって混乱はなく、むしろ作品のテーマそのものを巧みに裏打ちしています。

ラストの落ちというか、謎解き部分がやや強引だったのは残念でしたが、それ以外は大満足ですね。

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