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2004.12.12

ライトノベル完全読本Vol.2

 ようやく購入。いや、買おうかどうか迷っていたのですけど、拙作『世界が終わる場所へ君をつれていく』が紹介されているという話を聞いたもので。我ながら現金な話ですわ。
 まだざっと目を通しただけですけれど、一冊目よりは現場の現役の声も多く、何と言うか「マトモ」になった印象。「中高生くらいの、普通の読者に支持されているヒット作」にも多少光が当たるようになりましたしね(20代半ば以上で、5年も10年もライトノベルを読んでいて、今、いわゆる「通好み」の作品を高く評価し、「キャラ萌え」とか「厨設定」とか言われる作品を軽視している人たちには「自分たちが中学生の頃にどんな作品を面白がっていたか」という事を真摯に見つめなおしてほしいと思います、ホント)

 で、拙作『セカシュー』はSFだそうで。「SFマガジン」で取り上げられた時には「反セカイ系」と言われ、どこかの書評系サイトでは「セカイ系の典型」と言われたんですよね。こういうのを目の当たりにするとジャンル分けとかレッテル貼りというのは無意味だと実感します。個人的には、作品には「固有名詞」以外いらないと思いますよ。

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コメント

はてなダイヤリーのどこかで誰かが「スレイヤーズが好きだった十代の自分をどうやって肯定すればいいんですか」というフレーズを紹介してましたっけ……。(笑)、じゃ済ませないとは思うんだけど、まとめ方がわからない。

投稿: ASA | 2004.12.13 07:09 午後

 私の世代のオタクだと「子供の頃、ウルトラマンタロウを好きだったと認めるのが難しい」みたいなものなんでしょうかね?
(私、子供の頃からタロウに反発するヤなガキでしたが)。

 素直に「十代が楽しめるように最適化されたプロの仕事」と認めるわけにはいかないんでしょうか。
 嫌な言い方ですが、どんなジャンルにも「褒める自分が偉そうに見える作品」とか「褒めると恥ずかしい作品」とかがあるのではないかと思います。作品そのものの面白さとは別に。
「偉そう」や「恥ずかしい」というのは作品と自分という素直な関係ではなく、「自分の発言を読む、同好の第三者」との関わりの中でしか意味のない事なのですけどね。

投稿: 葛西伸哉 | 2004.12.14 02:16 午前

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