※本稿では作品の年代は確認できた資料によってコミックス奥付の日付と雑誌連載開始を混在させているため、厳密さには欠ける事をお断りします。また、本稿全体が網羅的に調査した結果に基づくものではなく、印象的な一部の作品からのピックアップや当時の記憶に頼った不正確なものです。不備や勘違いがあればどしどし指摘してください。むしろ、これをたたき台にして誰か他の方がより緻密で高度な研究をしてくれる事を期待します(正直、私の手には余るので)。
また本文中では敬称を省略し、作品タイトルなども通じると判断したものについては正式名称ではなく、略称・通称を用いています。
●序
事の起こりは『アニレオン!』3巻執筆時に「メガネっ娘萌え」のルーツを調べた時に感じた疑問である。
典型的な(悪く言えば工夫のないステロタイプな)メガネっ娘キャラというのは、おおよそ三つの類型に分類する事ができる。
まず、「真面目な委員長タイプ」。教師や医師などの、知的でお堅い職業に就いている大人の女性キャラはこのタイプのバリエーションと言っていいだろう。
次の「マニアックな趣味を持つ広義のオタク娘タイプ」は明るくお喋りなキャラが多く、素っ頓狂な性格も珍しくない。マッドサイエンティストやエンジニア、メカフェチなどもこの路線に含められる。
そして「病弱でおとなしい文学少女タイプ」。だが、定番中の定番と思われているこのタイプだが、考えてみると意外に古典的な実例が思い当たらないのだ。
その疑問がきっかけで、表題のような事が気になってしまったのである。果たして、本当に「病弱な文学少女のメガネっ娘」は古典的なステレオタイプなのだろうか?
なお、以下のテキストでは少女マンガにまったく言及していないが、これは筆者がその方面に疎いため。またPC用成人向けを含むゲームについても当時のものを通史的に確認できる資料が入手できなかったため、踏みこんで取り上げる事ができなかった。これらのファクターを踏まえて考察すればまた別の結論が出るはずである。更なる資料を取り入れた上での、より高度な考察を成す後継者が現れる事を望むものである。
●80年代前半~中盤のメガネっ娘事情
70年代末の「ヤマトブーム」、そして『機動戦士ガンダム』の劇場公開、さらに『うる星やつら』のヒット、アニメ雑誌の相次ぐ創刊など、現在に至るオタク文化・オタク産業の流れは80年代初頭に方向付けられたと言える。
当時のオタクシーンをリードしていたのは、その『うる星やつら』に代表される少年サンデーを中心とする小学館系という印象が私にはある。高橋留美子に続いて島本和彦・中津賢也・安永航一郎・鈴宮和由などマンガ・アニメファン出身の作家を多数輩出し、群衆シーンやネーミングでのお遊び、コマ欄外の書き込みなど時代の空気を形成し、テレビアニメなどにも大きな影響を与えた--というよりも、相互に影響しあっていたというべきか。
だが、振り返ってみると当時の「サンデー」系の作品には意外なくらいこれと言ったレギュラー級メガネっ娘がいない。現在に至るオタク文化の重要な礎石である『うる星やつら』には、あれだけ女の子が登場していながらメガネっ娘はゼロなのだ。同じ作者の『めぞん一刻』でもレギュラーにメガネ常用キャラはおらず、一話きりのゲスト・大口小夏が登場するに留まっている。
マンガだけではなく、当時はアニメにおいても現在のようにメガネっ娘が定番化していない。
当時の人気アニメでメガネっ娘キャラといえば『超時空要塞マクロス』(82年10月~)と『超時空世紀オーガス』(83年)だが、そもそも『マクロス』のブリッジ三人娘自体が『軽井沢シンドローム』(82年6月第1巻初版)からのイタダキという側面があり、しかもレギュラーではあるが特にエピソードもない脇役である。また同シリーズの第三作『超時空騎団サザンクロス』(84年)ではキャラデザイナー交替も関係あるのか、メガネっ娘は姿を消す。その後、80年代TVアニメでのメガネっ娘といえば『ガンダムZZ』(86年)のミリィ・チルダーくらいだろうか。レギュラーではないが、当時のアニメのメガネっ娘事情で最も注目に値するのは『ミンキーモモ』(82年)で「メガネでチャームアップ」という女の子がメガネをかけて魅力的になる、というエピソードが存在する事だろう。
少年少女13人が主人公の『銀河漂流バイファム』(83年)にもメガネっ娘はいない。そして、放送終了後85年に制作されたOVAでは文学少女のペンチがメガネを着用するが、「夢見がちなオタクの女の子」を悪趣味にカリカチュアした、イタいキャラとしてのデザインであり、決して好意的なものではない。
また、OVA初期のヒット作であり、その後シリーズ化する『ガルフォース』(86年)では、メインキャラが美女美少女ばかり7人というシフトでありながら、その中にメガネ使用者はひとりもいない。
さらに言えばある意味で一世を風靡し、パソゲー普及以前のオタクエロのスタンダードとも言えるアダルトアニメ「くりぃむレモン」(84年シリーズ開始)にもメガネっ娘は不在なのである! 「くりぃむレモン」でメガネっ娘が扱われるのは、87年の路線変更以降、しかも森山塔などのマンガ原作作品からだ(ただし、これは逆に言えば80年代中頃までには成年向け美少女マンガではメガネっ娘が珍しくなかったという事でもある。また、85年頃の雑誌『モデルグラフィックス』での美少女アクションフィギュアを用いた企画『彗星戦隊フルーティV』の中にはちゃんとひとりメガネキャラがいる)。
マンガやアニメから外へ目を向けると、82年頃はタレント・斎藤ゆう子の全盛期でもある。お笑いタレントで必ずしも美人という扱いではないが、メガネをかけた女性がテレビに頻繁に登場し、好意的に受け止められていた時代である。「お喋りでけたたましい、陽気なメガネっ娘」という定番イメージには、彼女の影響も大きいのではないだろうか。
また、4人のうちひとりをキャラ立てのためにメガネっ娘にしたグループ・セイントフォーのデビューが84年。大して人気があったわけではないが、メガネっ娘をアイドルにしたという一点で未だに語られるグループである。
しかし、80年代最大のメガネっ娘と言えば、実はSF作家の新井素子かも知れない。
78年にデビューし、80年にはコバルト文庫に進出して知名度もアップした彼女は、当時は単なる新人・若手作家というだけでなく、ある種SF界(ひいてはオタク界)のアイドル的存在であり、生身の個人を越えた「キャラクター」だった。例えば雑誌「バラエティ」に80年(?)から連載されていた『ひでおと素子の愛の交換日記』あたりにそれは顕著だろう。
冗談抜きで、現在のメガネっ娘キャラの大きなルーツは彼女なのではないかとも思う。
では、隆盛だったサンデー系で手薄だとしたら、当時のメガネっ娘鉱脈はどこだったのか。私はそれを「少年ジャンプ」とヤング誌だったのではないかと見ている。
●「少年ジャンプ」のメガネっ娘
80年代の「少年ジャンプ」には「4人目はメガネっ娘の法則」というのがある。いや、法則とは言っても3例あるのを私が見つけて勝手にそう呼んでいるだけなのだが。
まず『キャッツアイ』(82年4月第1巻初版)。メインの3姉妹に続いて登場した浅谷光子刑事がメガネキャラである。主人公の同僚であり、メインヒロインの恋のライバルでもある堂々たる主要キャラ。職務に忠実で有能な、いわば「正統派委員長系メガネっ娘」だが、実は初期エピソードではサングラスをかけていたり、メガネを外していたりしているシーンが意外に多い。初めのうち、彼女のメガネはキャラクター性の一部というよりも「有能で生真面目でクール」という事を表現するための小道具だったのかも知れない。ただし5巻(83年6月)収録のエピソードでは「メガネがないとほとんど見えない」というエピソードがある。浅谷刑事は作中で「メガネっ娘」へと進化したキャラとも言えるかも知れない。
次に『ウイングマン』(83年8月第1巻初版)の布沢久美子。彼女の登場は3巻(83年12月)からで、登場そのものはセイギマンの桃子よりも一話早いが、作中での扱いを考えるとアオイ・美紅・桃子に続く4番手ヒロインと言うべきだろう。
久美子のメガネは初登場時には不透明で描かれていて、メガネを外して初めて主人公に美少女と認識されている。また、後にウイングガールズの一員となった時も戦闘コスチュームではメガネ無しになっている点にも注目したい(ただし、メガネ=ブスという扱いにはなっていない)。
作中における久美子のポジションはサブヒロインと呼ぶにも微妙で、むしろ「変身ヒーローの正体を探ろうとするお邪魔キャラ」「ヒーローの周りをちょろちょろする微妙なポジションの民間人」というポジションを女の子にしたものだろう。広い意味では「特殊な趣味に熱中しているオタクタイプ」キャラとも言える。
桃子の他にも後発のくるみやりろに喰われ、終盤に敵に騙されるエピソードまでは出番そのものが少なくなる。また、そのエピソードでもクラスの男子からは恋愛対象と思われていないような描写があり、まだまだメガネっ娘が「定番」であるとは認識されていないようだ。
「4人目はメガネっ娘の法則」の最後のひとつは『きまぐれオレンジロード』(84年10月1巻)である。ヒロインのまどかとひかる、そして主人公の双子の妹くるみ・まなみ。この春日まなみがメガネっ娘である。
彼女は第一話の時点の友人が主人公に「紹介しろ」と迫るなど、最初から魅力的な女の子であるという前提で描かれている。ただし、もうひとりの妹・くるみに比べてもスポットが当たるエピソードは少なく、出番そのものは多いが、あくまでも「立派な脇役」感が強い。
なお、このまなみだがメガネにポニーテールというどちらかといえば子供っぽさを思わせるビジュアルでありながら、しっかり者で一家の母親代わりという、メガネっ娘がパターン化した現在から振り返ってみるとなかなかユニークなキャラクターである。
半ば冗談で「4人目はメガネっ娘の法則」と書いたが、要するにこの時代に初めて少年マンガでレギュラーの女の子を4人も5人も出すような手法が一般化し、その中ではバリエーションのひとつとしてメガネっ娘も許容されたという事なのだろう。
「少年ジャンプのメガネっ娘」という事で、さらに重要なキャラクターを三人ほど挙げておきたい。
まず、言うまでもない『Dr.スランプ』(80年8月第1巻)の則巻アラレである。ギャグマンガという事もあり、早々に頭身が縮まってしまったが、当初の設定では博士が「美女」として作ったロボットという事を忘れてはいけない。何より、大ヒットマンガの主人公がメガネっ娘、しかもギャグキャラではあっても不細工ではなく魅力的な外見の持ち主という事で、世間に「メガネの女の子もアリ」という風潮を広めたなど、影響は大きい。
もうひとりはぐっとマイナーになるがゴルフマンガ『ホールインワン』(78年7月第1巻)の岡本ちゃんである。固有のエピソードどころかフルネームさえも不詳の、単なるリアクション係(兼パンツ見せ要員)とでもいうべき脇役中の脇役ではあるが、画面への登場は多く、コミックスの2巻と6巻のカバーでは主要キャラ集合イラストに加わっている。最終回でコンタクトレンズになる事から、必ずしも肯定的な意味でのメガネっ娘ではないが、2年以上に渡る長期連載、しかも『Dr.スランプ』以前に「メガネをかけたセクシー美人」がレギュラーキャラだった事はひょっとしたら注目すべき事かも知れない。
そして『ハイスクール!奇面組』8巻(84年12月)から登場する意地川累だ。彼女は「メガネをかけていて不細工だが外すと実は……」というキャラとして描かれ、作者自身も欄外で「3億年前のパターン」と言っている。しかし、ここまでの例でも想像できるように「メガネを取ったら実は美人」というのは、この時点では決して一般的とは言えない。他誌の作品にまで目を向けてもパッと思い出すのは『翔んだカップル』(78年)の杉村くらいだろう。作者の新沢基栄が本来少女マンガ志望だった事はコミックス内でも触れられているが、少女マンガにおいては実はとっくの昔に「メガネをかけている女の子にとっては、メガネをかけている状態こそが肯定すべきありのままの姿」というテーゼが成立しているという説もある(詳しくはこのサイト参照)。
要するに、この時点で「事実に基づかない、誤解された(あるいは意図的にズラした)パターンの再生産」が行われているのである。
●ヤング誌のメガネっ娘
80年代前半というと「ビッグコミック」「ヤングコミック」に代表されるような従来の「大人向け」のマンガ雑誌と少年誌の間を埋める、20前後の大学生~若い社会人をターゲットにしたヤング誌が次々に世に出た時期でもある。79年に「ヤングジャンプ」、80年には「ヤングマガジン」と「ビッグコミックスピリッツ」、82年には「ヤングチャンピオン」(現在のものではなく、一度休刊した初代)が創刊されている。
そして、そこには多数のメガネっ娘が散見されるのだ。
まず前述の『軽井沢シンドローム』。この作品では後に多数の女性キャラが登場し、当初のヒロインであるメガネっ娘・松沼薫の影はやや薄くなるが、第一話の時点ではメインヒロインがメガネ着用という当時としては希有な例である。作者のたがみよしひさは「ヤングチャンピオン」の『我が名は狼』(83年8月第1巻)でも第一話のサブゲストヒロイン、3話のメインヒロインにメガネっ娘を登場させており、さらには後に『なあばすぶれいくだうん』(88年連載開始)でもメガネっ娘がメイン(かつ連載当初は唯一の女性レギュラー)と、実はメガネっ娘萌え的にはかなり重要な漫画家ではないだろうか。
この他にも『ネコじゃないモン!』(83年2月第1巻)の五月、『ザ・サムライ』(84年1月第1巻)の綾杉先生などメインでないとはいえ、一話からレギュラーで登場するメガネっ娘は少なくない。『BE FREE!』(84年10月第1巻)の島本圭子など当初のダブルヒロインの一方で、全編を通すとメインと言っていいポジションである。
なぜ、ヤング誌ではメガネっ娘の登場率が高かったのだろうか?
検証不充分な単なる思いつきに近い仮説だが、ひとつには初期のヤング誌の傾向として、少年マンガのラブコメブームを踏まえ、『めぞん』や『軽シン』に代表される「セックスや結婚も視野に含んだラブストーリー、ラブコメ」が重視された事が原因と考えられる。そこで登用されたのが、たがみよしひさや矢野健太郎のような(適当な言葉ではないが)「少女マンガにも通じた若手漫画家」であり、少女マンガでは昔から使われていた「メガネをかけた女性キャラ」が抵抗なく登場してきたのではないだろうか。
もちろん、前項で挙げたように女性キャラの複数化によるキャラのバリエーション付けや、現実世界でメガネをかけた女性が以前ほど否定的に見られなくなった事などの影響もあるだろう。このあたりは、更なる研究が待たれるところである。
しかし、当時の「ジャンプ」やヤング誌のキャラクターを見ても「堅い職業でマジメ」な委員長タイプや、広義のオタクタイプはいても、病弱な文学少女は影も形も見あたらない。
『オレンジロード』4巻にゲストヒロインとしてメガネ&そばかすで難病で手術を控えている小田久美子というキャラが登場するが、難病を患っていると言っても弱々しい印象はなく、むしろ口数が多くて陽気な「斎藤ゆう子・大口小夏系」キャラなのだ。
ひとつ考えられるのは、現在「文学少女系メガネっ娘」のイメージとして想起される「おとなしく、控えめだが芯は強い」「引っ込み思案で守られるタイプ」というのは、少年マンガでは「元気で快活」と並んでメインヒロインに与えられるキャラクター性である。しかも元気系とは違い、控えめタイプはメインヒロインにしない事にはスポットを当てにくい、レギュラーの脇キャラとしては扱いづらいキャラではないか。
複数ヒロインの中で「生真面目できつい」や「過度におしゃべりでけたたましい」などサブヒロインには個性の強化・イメージの鮮明化のためにメガネをかけさせる事はできても、メインヒロインにメガネをかけさせるのは、当時としてはまだ冒険だったのだろう。
●そして90年代~ゲームとテレビアニメでのメガネっ娘~
90年代になると、テレビアニメでもメガネっ娘が頻繁に登場するようになる。まず、代表的なキャラは『ラムネ&40』(90年)のココアだろう。注目すべきは、作中でのココアの扱いである。初期の彼女は「メガネをかけている時は女性的な魅力に乏しい天然ボケのメカマニアだが、外すと美少女」という描写をなされており、そのギャップがギャグとして描かれていた(新沢基栄が6年も前に3億年前のパターンと呼んだ幻影が、アニメではまだ通用すると思われていたのである!)。さらに「ラムネ-ミルク」「ダ・サイダー-レスカ」というカップリングが最初から固められている中で「余り」というポジションである。それが、話が進み、さらにはOVAなどで続編が作られていく課程で「チャーミングなメガネっ娘」という風に描写が変化している。彼女の扱いの変化そのものが、この時代の業界におけるメガネっ娘受容のプロセスの反映と言えるかも知れない。
また、エルドランシリーズの一作目『絶対無敵ライジンオー』(91年)ではひとクラスまるごとレギュラーという登場人物が多い作品だが、その中にメガネっ娘は存在しない。しかし、同枠第二作『元気爆発ガンバルガー』(92年)では委員長系の武田桂、続く『熱血最強ゴウザウラー』(93年)ではマッドサイエンティスト系の教授とメガネっ娘がレギュラー入りしている。同時期の『鉄人28号FX』(92年)でもレギュラーキャラの中に小柄・ポニーテール・おしゃべりでドジという「斎藤ゆう子路線」のメガネっ娘・双葉が登場し、後半では「いわゆる正統派」ヒロインが海外渡航してしまったため、事実上のメインヒロインに昇格している。
また、エンジニアのココアやアナリスト兼発明家タイプの教授など、ロボットアニメなどで従来ならばメガネの男性キャラが担当していた役割を女性キャラにスライドさせた事も、メガネっ娘登場率のアップに影響していると思われる。『鉄人FX』の双葉も、『コンバトラー』や『ゴレンジャー』『ガッチャマン』に当てはめれば小介などに相当する「子供キャラ」のポジションなのだ。
この時代以降は、メガネっ娘は定番化したと見なしていいだろう。
しかし、この時点でも「真面目な委員長」や「変な知性派(オタク)」はいても「おとなしい文学少女」の姿は見えてこない。このタイプのメガネっ娘が登場するのは、ゲームの世界だったのである。
92年に発売されたPCゲーム『卒業』に登場する中本静。たった10年前で、他の路線に比べるとかなり新しいが、ひょっとしたらこれが「病弱気弱文学少女メガネっ娘」のルーツなのかも知れない。
この中本と『ときめきメモリアル』(94年)の如月未緒によって一気に築き上げられたのが「病弱文学少女のメガネっ娘」というステロタイプ。その後、『トゥルーラブストーリー』や『同級生2』など後発のゲームによって短期間のうちに一般化した--ちょっと感覚に反する仮説だが、今回調べた限りではそれ以前の例が見つからなかったのだ。
それこそ少女マンガあたりに実例があるのかも知れないが、少年マンガやヤング誌、アニメなどにはそれらしいキャラがなく、少女マンガに源流があるとしても、それがどうしていきなりPCゲームというジャンルに現れたのか、その「感染経路」が不明なのである。
では、仮に『卒業』の中本が「病弱文学少女」のルーツだったとして、どうしてこのタイプのキャラが生じたのかを考えてみたい。
まず『卒業』は「極端に偏ったパラメータを持つ5人の女の子を育成するゲーム」である。当然、偏ったパラメータのバリエーションとして「知性に優れるが体力面では劣る」というタイプは考えられる。さらに『卒業』の5人のキャラクターはネーミングやポジションがザ・ドリフターズに準えられている。中本=メガネというわけだ。
さらに「病弱な文学少女のメガネっ娘」以前から「病弱な文学少女」は存在する。それこそ『風立ちぬ』のようなサナトリウムものや、外出が禁じられて本だけが友達の深窓の令嬢など。そして「メガネをかけた知的な女の子」というカテゴリーも存在する。それこそキャラクターとしての新井素子あたりが典型だ。
つまり「メガネをかけた病弱な文学少女」というパターンは「病弱な文学少女」と「メガネの文学少女」というふたつのイメージが合体したものという可能性がある。元になったふたつのパターンが古典的であったため、融合したもの自体は実際には新しいものでありながら「昔から存在しているパターン」のように誤認されたのではないだろうか。
また、「おとなしくて引っ込み思案な文学少女というのはサブヒロインとしては扱いづらい」と述べたが、ゲームという形式においては複数のヒロインをシステム上同列に扱う事は容易である。即ち、マンガやアニメといったリニアな物語のメディアよりも「病弱文学少女メガネっ娘」を登場させやすい形式なのだ。
一応、本稿の結論として「病弱文学少女メガネっ娘」は10年かそこらの歴史しかない新種であり、それが昔からの定番中の定番に見えるのは「キレンジャーの錯誤(目立った一例が、そのカテゴリー全体の共通項のように扱われる事。オレ造語)」である、とする。
しかし、既に述べた通り、これは実感とは大きくかけ離れたものである。私自身、『ときメモ』の如月未緒を見た時は「病弱な文学少女のメガネっ娘なんてパターンだなぁ」と思ったのだから。
恐らく、本稿では何か重要なファクターを見落としているのだろう。繰り返しになるが、誰かがより深い研究をして、この問題についてもっと妥当な説を唱える事を期待したい。
最後に余談だが、とり・みきの『るんるんカンパニー』(81年)というマンガがある。この作品では主人公は「知性派のスレンダー美人」「セクシーな空手使い」「ドジで小柄なマスコット」という三人娘だが、この中でメガネをかけているのが「セクシーな空手使い」なのだ。現在のセンスからすると知性派でもドジっ娘でもなく、よりによってグラマーでアクション担当のキャラにメガネをかけさせるというのはかなり特異なセンスだが、メガネっ娘のパターンが一般化していなかった当時では、別に違和感を覚えるものではなかったのだ。
『オレンジロード』のくるみの例といい、実は近年にメガネっ娘が定番化した事によって、逆に「メガネをかけた女性キャラ」というのは懐の深さを失い、広いけれども痩せた土壌になってしまったのではないだろうか。
フィクションの送り手として、私自身反省と用心が必要だ。
(本項は2003年10月に旧サイトにアップした記事をそのまま再掲したものです)
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